「萌え」の根源

「萌え」とはずばり、**そのキャラクターと共鳴するような経験を私はしましたよ**、という事実を形容した表現だと思っている

たぶん他人に言ってもあまり共感されないと思うけど、ともかく儂はそういうふうに「萌え」の定義を育ててきた

「共鳴する」とは、作品中に登場するキャラクターの感情と、自分の感情が接続され、自他の境界が曖昧になり、一つになったかのように錯覚する現象のことを指す。(ブルアカのときに言ったあれに近い )

キャラクターと共鳴したときに儂の心臓は、キャラクターの感情によってふわっと持ち上げられたような感覚に陥る
そうして心臓がふわりと浮遊して、体全体の感覚が鈍くなるのを感じたとき、これがいわゆる「萌え」なのだな、と直感する
ジワリと胸の奥から何かがこみ上げてくるあの感覚を草木の芽生えに例えるとは、「萌え」を定着させたオタクはなかなか雅なセンスしておるのう 「言葉」と同じくらい風流な言葉だ

「萌え」に似たような言葉として「感動」が挙げられる

「感動」は作品、あるいはシチュエーションを対象として発生するが、「萌え」は主にキャラクターを対象として発生する
だから儂の中では「感動」と「萌え」は指向性の違いで区別されている

「萌え」と「推し」はどちらも、そのキャラクターの存在を最大限肯定しよう、という態度を表現している点で共通している

**現実に実在しないキャラクターという対象**に対して、感情を共鳴させたという経験を表明することによって**鏡写し的に存在を証明しよう**とするのが「萌え」で、
他人に布教することによって大勢の人間にキャラクターを認知させ、**キャラクターのイメージを他人と共有することで存在を獲得しよう**とする態度が「推し」という言葉に表れている(というか、現実のアイドルと同じように扱っている)
どちらもアプローチは違うが、実在しないキャラクターに対する最上級の言葉であることに違いはないじゃろう

「萌え」現象はどのような作品でも、作品のキャラクターと、自身の感受性の相性があってさえいれば発生する

ノベルゲー、ギャルゲーにおいては、図ってか図らいでか「萌え」現象が起こりやすいようにゲームシステムが設計されている
というか、「萌え」は、ギャルゲーをプレイしたオタク共が、頻繁に経験する共鳴現象に「萌え」という言葉をラベル付けすることによって定着した言葉なのだと思っている(ことの発端はともかく)
逆に、今「萌え」という言葉が使われなくなったのは、様々な理由があるとは思うが、特にギャルゲーが衰退したことの影響が大きかったと思う

こういうことを、げんしけんのアニメ版を一気見しながら考えていた(なぜ?)

げんしけん面白かった 原作漫画も読むぜ

あと一期の一話目でいきなりくじびきアンバランスが始まってびっくりした げんしけんは知らなかったけどくじびきアンバランスは前から知ってたので、プレーヤがバグったのかと思ったぜ