ブギーポップの原作ノベル版をよんた W氏にアニメ(旧版)をオススメされたいたので気になっていたがようやく読めた 他人にオススメされたやつはおススメされたんだから読まなきゃ…みたいな気持ちで視るとたいていつまらないので、自分がみたいと思うまで脳内の目につくところに置いておきその気になるまで放置している
原作がノベルのアニメは、ノベルを先に読んでから視る たいてい原作の方が面白いので これはショートケーキの苺を先に食べるのと同じ感覚じゃ
内容面白かったです 学園ものライトノベルの金字塔らしい(?) 群像劇という同じ時系列でいろいろな人の視点から事件が語られるという形式で、だんだん事件の本質にかかわっていた人へと視点が移り全貌が明らかになっていくというニクい構成 うっかり一気読みしてしまったぜ
文体が乾燥していてなかなか独特 独特というかシュールで現実的な感じがする 最近のライトノベルだとあまりこういうのは観ないので目新しい(そもそもラノベをあまり読んだことがないんじゃ)
これはライトノベルに分類しても良いのだろうか?と思った よさそうだけど非ラノベとの境界に近いような気がする 90~0年代のラノベはまだまだラノベとして振り切れていないという感じがあるな 儂はラノベに対して曖昧なイメージしか持っていないのでなんともいえんが(うにゃ) ラノベといえばキャラクタ小説だと思っていて、キャラクタを消費するという側面は今よりも弱いと思うが、どうかね。
ようやく東京で独り暮らしが始まったと思ったら、ゴールデンウィーク帰省で再び浜松に帰る羽目になった。当然実家に帰ることができるのは嬉しい。嬉しいのだがどうも胸のあたりが詰まるような、チクチクと胸の内から自分を責めるような思いがこみ上げてきてさんざん儂の気分をかき乱してから消えていくような嫌な事故現象が頻繁に起こりよくない。儂が思い描いていた大学生のイメージと今の自分がかけ離れているせいか、親が語り思い描く息子像と儂が何にも符合しておらず親の眼が怖いとか、この胸のつまりにはいろいろな原因が考えられる。少しは大人にならねば死んでしまうという自覚はあって、さっそくバイトの面接を受けたり大学の周りを散歩してみたりしたのだが(健常者からすれば笑いものだろう) 行動を起こすのが遅すぎたしこのわだかまりは一生つきまとうのだろうな
いちごコンプリートは名曲じゃなアーと思いながら流し聴きしてたら急にドクロちゃんの声が聞こえてきてびっくりした 千佳の声の人が同じらしい 確かに言われてみれば声質が似てる気がするが…… というか能登麻美子と川澄綾子も歌ってるのか
とらドラポータブルをやったので感想 二徹して全ルートみた
バッドエンドを踏みまくりながら見たい√のハッピーエンドを目指す死にゲーという印象
ストーリー中にアイテムを取得できるチャンスがあり、そこでちゃんと必要なアイテムを回収しておかないと詰んで意図しない√に分岐し、ヒロインが失踪したり別のキャラクターとくっついて終わったりする
分岐の仕方は通常のギャルゲーの選択肢のシステムを少し複雑にしたような感じで、初見だと特定のキャラクタの√は狙いにくい あとルートを外すと主人公が急にアホになったり特定のキャラクターが崩壊したりするのでうーんとなることがあった
バッドエンド自体はあってよいと思うしあった方が良いのだが、本筋から外れたとたん手抜きになるのはいただけない バッドエンドにもちゃんと力を注いで☆
あと、攻略をみないと頻繁に詰むのでそのたびにシナリオへの没入感が失われてしまうのが難点 分岐がもう少しわかりやすくてもよかったのでは?とは思うぜ
シナリオに関しては、ハッピーエンドの後日談で軽率に10年後とかを見せるのはやめて欲しかった そこまで至る過程を省略せずにちゃんと描けよと思って舞うので
どうしても作品の感想を書くと作品の悪いところばかり挙げてしまうな まあ
儂は一つの作品にわりかし長く浸かるタイプの人間だと自認していて、一度浸かるとしばらくはその作品が頭の中でずっとぐるぐるしている
一度作品を気に入ると、作者がどんな人間なのか気になって調べてしまう 作品が面白いときは作者本人が面白い人間であることが殆どである
作品は作者と作者を取り巻く環境の二次創作だと思っているので、ツイッタで気になった二次創作の一次ソースを探す感覚で作者のことを調べている 東方projectにはまった時は作者の好きな作家(森博嗣とか京極夏彦とか)の小説を読んだり好きな音楽家(姫神、松居慶子)のCDを買って聴いていた あと作者の日記とかを読むと作中人物の思考がプンプンに表れていて面白い
こういうのを観察するたびに自分には面白い作品は作れないな……と思う 昔小説を書いて同人誌を作ろうとしたことがあるのだが、キャラクター同士の会話が全く思いつかなくて詰んだ そのときはそもそもキャラクター同士を会話させないようにして難を逃れたのだが 他人と会話できない人間が、他人同士の会話を想像するのは、よほどの想像力か経験がなければ難しい
自分の場合、コミュニケーションする内容が確定していないときに不安障害の症状が出るらしい 大学の必修講義で、他人とひたすら雑談をするという地獄のような回があったのだが、あまりのストレスに講義の途中で退出しトイレで吐いてしまった 以降雑談の時間が確保されたときは無理せずなにも喋らなくて良いと自分に暗示をかけ、ぼうっとするように 雑談ではなく何をするか指定された状態でBORに分けられた時などは、話す内容を決めた台本を準備する(準備できなかった場合は、無知を決め込む)ことでストレスを緩和している この調子だとこの先確実に詰むだろうな 面接とか全くできる気がしないぜ 症状はともかく儂のような人間はカウンセリングを受けるべきなのじゃ…… →セロトニンの分泌量を増やせば良いなら、カウンセリングより電子ドラッグを吸引する方が早い(という願望)