何もしていない

何もしていなさに拍車がかかっている ずっと今が何もしていなさのピークのような気がしてるけど間違いなく気のせいなんだろうな だって何もしていないわけではないから

何かをしながら何もしていなさを感じ続けている 何かしなければ、と思い続けて何かをしつつ、何かって何だよと思いながら何かを探し続けている 自分を客観視するとマジでむかつくので客観視しないように努めている 何もすんなよ 何もしてないが?

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ポーズ模写

一応日下部みさおを描こうと思って描いた 誰?

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とりあえず、ざっくり顔を修正すると少しマシになる

写真とかのポーズから絵を描こうとするとデフォルメの加減がわからなくて難しい

写真を見過ぎてるとデフォルメを忘れてキャラらしさが無くなるし

キャラを意識してると人体がぐにゃぐにゃのタコみたいになる

学習が足りない生成モデルみたいだな

親や親戚の昔話を聞く機会があった

面白!

大人の状態しか知らない人から青春時代の話を聞くのってめちゃ面白い

世界観が違い過ぎる

面白い記憶の断片を集めて誇張された昔話ということを加味しても、凄い

ラノベのいちエピソードとしか思えないような話をしていて

マジでそういうフィクションみたいなことが起こるのか、と思った

こういう人たちの経験を基にフィクションが成り立ってるんだなと思う

ある対象を自分が好きになるかどうかは、煎じ詰めれば、好きのボタンを自分で押すか/押せるかどうかで決まるような気がしてきた

対象に対して、積極的な態度を取るか/無関心としてそのままにしておくか、みたいな判断が一定のタイミングでなされている 

これはある種の自分に対する取り決めというか、暗示めいた行為で 

ボタンを一度押してしまえば、その対象に自分の苦手な要素があったとしても、好きな対象の一要素として受け入れることができる つまり、儂の場合、はじめに短所とか長所とかいった対象の部分的な側面に注目することなく、全体のレベルで好きかどうかの判断がなされていることが多い

だから、「なぜそれが好きなのか?どんなところが好きなのか?」という質問が来ても、大抵の場合は答えようが無い 

「好きだと思う(ようにした)から」以上の事を答えられない それ以上は言語化不可能で、無理やり言語化してしまうと、その言葉に自分の価値観が制限されてしまう気がする

質問する人はそんなダルいことは考えてなくて、あくまでコミュニケーションとしてなんか言ってくれよ、って意図なんだろうけど

俺ガイル

原作でもガッツリif√をやっててびっくりした

商業のラノベで、いったん物語が完結した後にif√をやるのってけっこう珍しいのでは 少なくとも一定の人気と、作者の意欲がないと続編なんて出せないだろうし

ノベルゲーならいざ知らず、小説でif√を読むのは新鮮じゃ 

こっちの√の方がキャラの情動が描かれていて面白いと思った というか、普通に小説のクオリティが前より上がってる気がするぜ

オメガ城の惨劇やっと読めた 一度読み始めたら一気に読めて良かった

 

読んでいて感じたけど、やはり森博嗣の文体は、視覚的なイメージに偏っているなと思う 森博嗣の小説を読んでいる時は映画を観ているような気分になる 登場人物たちの経験を追体験するというよりは、映画を、映画館で観ているように錯覚する

だからなのか知らんが、森博嗣の小説を夜に読み始めると、映画館で流れる映画を自分で止められないように、読書を中断するタイミングが分からななって、しばしば徹夜をすることになってしまちがちじゃ(今回もそう)

あくまで儂が見ているものは映画作品ではなく小説で、そこにギャップが生じている 儂は文章を読んで映像をイメージしているけれど、そのイメージは儂のものでしかなく、作品自体のものではない

文章に書かれていない、いわば読者に委ねられている余白の要素について、それを後に指定するのかどうか、指定するならばその過程について、作者は自由に設定することができる 森博嗣の作品には、そういう作者の裁量に自覚的なものが多いなと思う ミステリ小説らしいといえばらしいのかも

**俺ガイル アニメ版**

俺ガイルのアニメ版をみた

漫画版でも感じていたことだけど、上品な作品になっている 展開がなだらかで、なめらかで、緩急が、無い!

原作にあった、主人公の内面の語りがカットされているのが原因で、それが全てのような気がする ラブコメのコメディの要素は、全て主人公の語りに押し付けられていたのか、と思うほどコメディ要素が無い

でも実際、『ラブコメ』と呼ばれている作品から、登場人物たちの内面の語り(説明的な台詞とかも)をカットしてしまえば、どれもこういう感じになるのかもしれない

ラブコメは、登場人物の内心を神視点で覗けるからこそ成立する、みたいなところがある

**メタフィクション**

メタフィクションの手法の一つに、作中で作者の存在をチラつかせる、というのがある やり方は色々あるけれど、ラノベでよくあるのは主人公の語りに作者の語りを紛れ込ませる方法で、化物語にも俺ガイルにもこれがある

これには楽屋落ち的な面白さがあって良いのだけど、それとは別の感覚として、微妙な気分になってしまう というか、作者の存在を否応なしに意識させられる感じに、何なんだ?と困惑している

作者の存在を否応なしに意識させられてしまう感じにモニョるというか そのメタ表現自体の面白さとは別に、よくわからない漠然とした嫌さを感じてしまうのじゃ

作者の存在うんぬんではなく、キャラクターの虚構性を再確認させられる感じが嫌なのかな 

作者が、キャラクターの虚構性を押し出す表現を選んだことそのこと自体にモニョっているのかもしれん 自分でもよくわからない

**青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない**

Audibleで二巻まで聴いた すごいタイトルだ

登場人物たちの行動が理解不能すぎて面白い 確実に自分と異なる力学で動いている 

登場人物同士の会話を聞いていると、教室で一人飯を食ってる時に勝手に耳に届いてきた、一度も口を聞いた事のないクラスメイトたち同士の会話を思い出す 顔や名前は全く思い出せないが会話の内容は何故か覚えている

物語の構造としては化物語に近いけど、登場人物の動き方、喋り方がこっちの方がリアルだと思う キモさの発露の仕方が戯曲めいてないところとか

**漫画喫茶2**

また漫画喫茶へ行った 前回読み切れなかった漫画を読むべく早朝4時に出発

今の時代漫画アプリでたいていの漫画は配信されていて、わざわざ漫画喫茶に行かなくても無料で読みたい漫画を読める でも漫画アプリは一日で読める量に制限をかけていることが殆どで、目当ての漫画をより多く読むために広告動画を再生したり作業をしたりする必要がある 金の代わりに時間を奪ってくる そういうスタンスに腹が立つので漫画アプリをあまり使う気にならない いや課金すればいいだけなので別に腹は立ってない ただ漫画喫茶で読んだ方が安上がりというだけ

以下読んだ漫画の雑感

**俺ガイル**

終盤に差し掛かるにつれて明らかに作者の絵が安定して上手くなっている これ、なんか寂しいのでできれば漫画家は最終巻から描き始めてほしい 終盤につれて、絵はむしろ発散していって欲しいという無茶な願望がある ラストに向けて収束するより、最後に向けて爆発していった方が良くないか?

やっぱり漫画って小説よりも客観的だ 漫画は小説よりも視覚的だから、どうしてもそこに客観性が生まれやすいんだろうな

俺ガイルにもPSP版のノベルゲーが出てるらしい 

物語が完結した後にノベルゲーで別のヒロインと結ばれ√をやるのって、冷静に考えてどうなんだ 原作厨はどう捉えてるんだ

原作で描かれた『主人公があるヒロインと結ばれる可能世界』と、ポータブル版で描かれる「主人公が他のヒロインと結ばれる可能世界」とを同じ枠組みで捉えてしまってええんか!?!?というざわつきが儂の中では発生するのだが

(PSP版の)そういう世界がありうる、ということは認められるけど、でも、その世界は果たして、原作の世界からの分岐、繋がって存在している世界だ、と認めてしまって良いのだろうか!?!?可能世界ごとのキャラの同一性を、儂は、みんなは、いったいどう捉えてるんだ!?!?!?

これは単に受け止め方の問題だと思うけど、それでも、儂と同じようなざわめきを感じる人はいるのか気になっている

今知ったけど俺ガイルは二人別の漫画家によって二回コミカライズされているらしい 儂が読んだのは妄言録のほう

もう一つの方も漫画アプリで読めたのでちらっと読んだが、こっちの方が原作に忠実という感じだ 儂が今回読んだバージョンの方がより漫画的というか、視点が客観的じゃ 主人公が全然内面を語らない 

儂は主観的な方が好きになる傾向があるが、今作は客観的な方がよかったかもしれない

アニメ版はどうなってるのか気になる アニメも観るか…んで、やっぱ原作もAudibleで聴くか…

あまり関係ないけどふと思い出した話 シュタインズゲートについて 儂はアニメ版より原作ゲーム版の方が好きだが、この前儂の好きな漫画家がアニメ版の方が好きということを知り、意外で驚いた

その人曰く、キャラ同士の関係性がしっかり固まらないまま物語が進行していくシュールな感じが良い、らしい 儂はむしろその感じにじんわりと不安を感じていたので、全く真逆の感性をしていると感じた こういう現実的な緊張感に楽しさを見出せる人はすごいと思う

**スケッチブック**

間の四コマ漫画だ 雰囲気と絵柄の素朴さの組み合わせも相まって良いかんじの漫画になっている

きらら系4コマは会話でコマが埋め尽くされているイメージなんだけど この作品はそうではなく「間」の表現にコマが消費されている

あずまんが大王にも間の表現がある きらら4コマはらきすたあたりの会話4コマの系譜を受け継いでいるということかね

儂はこの間が凄く好きじゃ アニメ版でもこの間に時間をかけていてとても良かった

最初の頃の主人公の会話拒否っぷりがすごい

儂も急に話しかけられたらなんもしゃべらずジェスチャしてしまうな なんか喋らなくては駄目か!と決意するとなんかは喋れる 会話が成立してるかどうかは判断できないので総じて微妙な空気になるが

初対面の人に「緊張しなくていいよ笑」と言われることがしばしばあるが、こう言う人って他人の緊張をコントロールできると思ってるのか 「その緊張をずっと維持してろ」と言われたことが一回あり、こっちの方が楽な気持ちになれた 人にはそれぞれの楽になり方がある

**デスノート**

面白ー

**漫画ブーム到来**

とりあえず漫画喫茶に置いてなくて読めなかったGA 芸術科アートデザインクラス をポチった たのしみだズェ(cv:日下部みさお)