
17回目のルーミア
漫画喫茶に行った
午前四時くらいに急にテンション上がって漫画喫茶に行くことにした 調べると漫画喫茶は早朝までに入店すると割引されるらしくすぐに出発
平日の朝5時くらいだったが思ったより人がいた
早朝のうちは基本静かだけど、急にギャルの寝言やジジイのいびきやけたたましいアラーム音が響いてきて面白い
朝8時ごろになると出勤のためかどんどん人が退出していく 代わりに物音の多いおじさんが入室してくる
隣室のおじさんがめちゃめちゃ大声で風俗?に電話していた 肝が据わっておる
よっしゃ漫画喫茶!漫画読み放題や!と意気込んでいたが、思ってたよりも漫画が読めないことに後から気づいた
一冊読むのに30分はかかる 12時間いっぱい滞在していたが、結局今回読みたかった漫画の三分の一くらいしか読めなかった
漫画の品ぞろえは良かった 儂の読みたい漫画がちゃんと揃っていて素晴らC
思ったより金もかからなかったし、思ったより快適だったのでまた来たい
読んだ漫画
化物語
クオリティ高!
圧倒的な作画力にひたすら打ちのめされる ハチャメチャにクオリティが高い 漫画が上手すぎる
これ一話描くのにどれ程の労力がかかってるのだろうか まったく想像がつかない
キャラクターがリアルなタッチでグングン動いていて不思議な気持ちになる
デフォルメされた記号キャラではまく、どっしりと質量を持った肉人間がそこにいる 丁寧に描かれている
肉感的な感じがより強調されているような まあ小説も大体そんな感じではあるが
アニメじゃ作画コストが高すぎて不可能な表現がバンバンなされている これは単純に作画の人が凄い
そのため読むのに時間がめちゃんこかかる
時間制約のないアニメをじっくり観てるような感じ これはAudibleとは全然違う Audible版は落語
あずまんが大王(旧)
新装版しか読んだことなかったので旧版を読んだ
前半が新装版と大分違って新鮮じゃ むしろ儂はこっちのバージョンの方が好きかもしれない 洗練されすぎてない雑味があって、それが良い
なんか知らんけど大阪のキャラが新装版より際立ってるように感じる 大阪のキャラは雑味が無さ過ぎる
ちよちゃんは本当にR氏に似ている 儂もちよちゃんみたいになりたい人生じゃった…
ちよちゃんの髪のピコピコが主人公の漫画があったら、ちいかわみたいに人気になりそう そんなわけ無いか
旧版の神楽よくわからないけどすごく自分に刺さった
ToHeartの没版の坂下のビジュアルをしている
ときどき4コマの枠を取っ払った話が挟まれるのが良い
ずっと同じリズムではないというのが良い
ゆゆ式
野々原ゆずこという、頭よさそうに見られるのが嫌だから学校で眼鏡をかけないキャラクター
読んでいると、彼女がメインの他の二人と比べて打算的に発言をしていることがわかる 発言が場を白けさせることを怖れていて、実際大きなボケをかましたあとにリアクションが無いと謝罪するシーンがいくらかある
こういう悲観的に、打算的に考えて、しかし実際にはあっけらかんと振る舞う性格が、頭の良いキャラクターって感じですごく良いと思います
野々原ゆずこが一人でいるときどうしてるか、あるいは親しくない人とどんな会話してるのか知りてー!
ゆゆ式は日常会話で展開していく漫画だけど、そうじゃないシチュエーションの話もみてみたくなるぜ
音MADでよく聞く台詞をみつけると勝手に脳内に音楽が流れてくる
ひだまりスケッチ
しょっぱなから高校生の飲酒匂わせシーンがあってすごい
読み進めると絵柄がすごいペースで洗練されて行ってるのが分かる やっぱり連載の体で描きまくるとメキメキ上達するんやね
というかまどマギのキャラデザってひだまりスケッチの人だったのか どうりで既視感があったわけじゃ!
やはり俺の青春ラブコメは間違っている
ラブコメの定番設定をしっかりと踏襲しておる
いやラブコメの定番なぞ知らんが ラブコメといえばとらドラくらいしか知らん
前にAudibleでラノベ版を聴いたのだが、どうもこれはアニメや漫画でみた方がよさそうだと思ったので読んだ 物語のテンポ感が軽くてサクサク物語が進んでいくアニメや漫画の方が良さそうだったので 実際そうだった
「俺ガイル」という略称がとても印象的 この略称のせいで読む前の作品に対するイメージがパイナップル金髪格闘男になってしまっておりよろしくない
よくわからん略称が付けられて作品のイメージがややこしくなるの、タイトルが長い作品のデメリットだと思う
というか、そもそも「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」ってタイトルはどうよ、と思うぜ
一巻目のタイトルはこれで良いと思うけど、二巻以降は別のタイトルをつけた方が良いだろ
「比企谷シリーズ」みたいに名前のシリーズで呼ぶよう統一したほうが良いと思う アニメ化の時それだと微妙か?
そう考えると涼宮ハルヒとか化物語とかは秀逸なタイトルじゃな
全シーン主人公視点で描写され、神視点から見た主人公が全く描写されないアニメ漫画ってあるのだろうか たぶんなさそう
実写映画ではあるんだから、アニメや漫画であってもおかしくはないと思うけどな ever17とかコミカライズしたら自然とそうなるだろ
らきすた
会話ベースの漫画は、一度アニメとかで声のイメージが固定されると、その後漫画を読むと自動で声が再生されるようになり、情報量が増えてお得じゃ
日下部みさおの声が強烈に脳内再生される 良すぎる 日下部みさおこそゆるキャラになるべきだろ
小説を読んでいる時、登場するキャラの造形を勝手に想像するのが楽しい
想像するというとクリエイティブなイメージがあるが、実際には既に知っている既存のキャラの内どれに近いかを考えている ああこのキャラはあの作品のあのキャラに近い見た目をしてるな、と考える
最近では、化物語の羽川翼のビジュアルを、『星のカービィ64』のリップルスター女王でイメージした
キャラの人格もそうやって近似する このキャラの言葉の選び方はあのキャラに似てるな、みたいに考える
これをすると何が面白いかというと、小説のキャラの解像度を上げることができるだけでなく、参照された、既に知っているキャラに対するイメージも具体的にできるという点じゃろう
似てるキャラクターのふるまいを知ることによって、既に知っているキャラの解像度が上がったかのように錯覚することができる
もちろんそれは錯覚でしかないのだけれど、でも自分にとって二次創作ってそういうことだろと思うし、一次創作にあたるものですら同じだと思っている

らきすたポータブルの実況を観た
日下部みさおの声がめちゃめちゃ良かったぜ 萌えすぎ
あんまり日下部に似てるキャラが思いつかなくて新鮮じゃ こういうキャラは印象に残りやすい
日下部の絵を描こうと思い描き始めたが、いつの間にか泉こなたの立ち絵になっていた いつになったら儂は思い通りのキャラを描けるようになるんだろう
ネトゲのくだり
儂も小学生の頃にネトゲに嵌まっていたことがあり、その記憶も相まって刺さるエピソードがあった
クロシオカレント二巻 読んだ
一巻からはハチャメチャドタバタワパワーを感じたが、今回はそうでもなかった
パワーを発散した後に訪れる寂び(詫び寂びのアレ)のようで、凝集していたキャラクター達の結合が切れて、疎らになって、それぞれが空転しているように見える
キャラクター達が集まってイベントが起こっているけど、どこか乾燥していて空虚な雰囲気がある
これはSFの文章を読んでいる時の感覚に近いかもしれない
高知県
物語シリーズを最新刊まで読んだので、続いて戯言シリーズの最初のやつを読み始めた まだAudibleに登録されてないので図書館で借りた
西尾維新の作品ではやたらと数学好きを強調するキャラクターが登場してるような気がする たぶん西尾維新も数学が好きなんだろうな
儂は数学が好きというわけでは無いが、平面幾何の問題を考えるのが好きだった 中学くらいの頃は平面幾何の問題を頭にストックして学校の授業中ずっと考えて時間を潰していた
解けても何の役にも立たない、実用性のない感じがめちゃめちゃ良かった 強いて役立つことといえば、楽しくパズルを解いてるだけで周りが「勉強してる」と勝手に勘違いして、何も言ってこなくなることくらいか
中学、小学六年生くらいの頃から今までの自分は、たしかに自分という連続した存在だ、と感じている 別人ではないという意味である
逆に小学六年より前の自分は、自分では無い別の存在で、死んでしまった過去の存在だと思う
多分儂の思春期が小六あたりで訪れたということじゃろう 思春期には成長というより、急激な肉体の変化による精神的な死、記憶をそのままにした生まれ変わりというイメージを持っている だれも怖がらない通過儀礼としての死
儂は小学二年生くらいの頃からインターネットに触れていて、カービィの某非公式ファンサイトのテキストチャットや掲示板に入り浸って他人と交流しまくっていた
今の儂は悪い意味で社会性が無いが、昔の儂は良い意味で社会性が無かったと思う
チャットを通じて他人と喧嘩をしてたし、迷惑もめちゃくちゃ掛けてたので良い!というと語弊が有りそうだが しかし自意識で他人と交流できず引きこもっている現状と比べれば格段に良かったと言えるだろう
しかし、小学六年生になったあたりでばったりとそういうことをやめてしまった
テキストチャットに行かなくなった最初の頃に感じた、後ろめたさのようなものを今でもずっと感じ続けている 切り分けられて死んだ過去の自分に対する、ばつの悪い微妙な感じをずっと
自分が明確に別人になったと自覚しているのはその一回だけだけど、他人はどうなんだろう
なんとなくだけど、人間的に優れている人は経験が豊富で、そのため過去の自分の別人化の回数が多い人という印象がある
たとえばツイッターの垢が頻繁に変わる人は、社会性があって優秀な人なんだろうなと思う
まあこれは完全な偏見だが

iPadにイラスト描く用のアプリを入れた
純正でないパチモンのペンを使ってるのでまともに描けないだろと思ってたけど、板タブと描きにくさはそんなに変わらない印象じゃ
とりあえず描き慣れている東方キャラクターを描いた
資料を見なくても描けると思えるキャラクターがこの三人しかいない もっといろんなキャラを描けるようになりたいのう
シンプルな見た目のキャラクターは描きやすくて良い ブルアカのキャラは描くのが難過ぎ
実家に引きこもっている
母が韓国の文化にドハマりしていて、暇な時間ずっと韓国語の勉強をしたり、韓流ドラマを観たりしている 儂に韓流アイドルの良いと思うところを凄い熱量で話してくれる
母がここまで何かに熱中するのを初めて見たので、すごい
仕事を辞めて自由に時間を使えるようになったからかな
化物語のアニメを観ている
やっぱり一度原作を読んでおくと普通に観れるな
内容を把握してるので、その分じっくり演出を感じる余裕ができるというか
原作にあった、主人公の内面の語りは殆どカットされている
その分視覚的な演出がふんだんに盛り込まれている
やはり映像作品になると、性質上作品の視点が主人公から離れる感じがするな
「イメージの人類学」という本を読んでいる
こういう本を読んでも、大学の文系教養の授業のように頭の中に何も残らないことが殆どなのだけど
本の中で紹介されていた「実生活の不可量部分」という概念がかなり気に入って、印象に残った
結局自分の中にある問い、関心に関係するものしか吸収できないんだから、儂には教養が一生身につかないのだろうな
もちろん儂は**キャラクターの**実生活の不可量部分について考えている
キャラクターを、規範的な属性の束とみなしている内は決して捉えられないもの キャラクターが世界の中で生きている中で持つ雰囲気、感情や関心、小さな行為や心遣いの機微
それらは本当に小さなものの集まりであり、量的に評価することはできないもので
そういうものが積み重なって、実在しないキャラクターの血肉が形成されていくのだと思う
儂がアニメに求めているのは、キャラクターの実生活の不可量部分を描くこと
原作を持つアニメの多くが、原作のシナリオに演出を加えた、いわばリメイクになってしまうのは理解できる
しかしそれでは、実生活の不可量部分を捉えるのは難しい 原作の展開を追うために急ぎ足になり、小さな描写を積み重ねるような余裕がなくなってしまう
原作の時間軸にとらわれず、アニメだからこそできる不可量部分の描写に力を入れてほしい、と思っている
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*1:よつばとの作者が言っていたこともこのことだと思う