ヘブン・バーンズ・レッド

通称ヘブバンをサービス開始日からずっとちまちまやっている

やっぱ、メインシナリオがゲームの中枢にちゃんと設定されているゲームはすんなり受け入れられるので良い ゲームシステムとゲームの世界観の関係がちぐはぐだと、どうしてもそこが気になってしまうのでね(ガチャって何?みたいな些末な疑問はどうしても残るけど、まあこれは仕方ない)

買い切り型でないスマホゲーには、「ゲームの世界観をなるべく損なわずに、プレイヤーに課金をしてもらうためには、ゲームのシステムをどのように設定すれば良いか?」という大きな課題がのしかかっている

これに対してヘブバン及びスマホのシナリオ重視ゲー(以下、寿司ゲー)は、「最新のシナリオを読むための作業はけっこう時間をとりますけど、ここで課金すれば時短できまっせ!」みたいなスタンスでやっているなという印象

で、これは漫画アプリの先読みの機能に近いな、とふと思った

漫画アプリの場合、なんらかの単調な作業をやれば最新の話を読むことができる この作業に一日一回までだとか、作業に時間がかかるとかいった制約を課して、そのうえで課金という面倒な作業をスキップする手段を提示して、利用者を課金へと誘導している

寿司ゲーでは、ガチャを引けば引くほど要求される作業量が減っていく 課金をすればするだけガチャを引いて作業を減らすことができるので、漫画アプリと同様にプレイヤーを課金へと誘導している

ただしゲームの場合、作業という行為自体が、ゲームのシステムの中に組み込まれている そのため、作業はただただ単調なわけではなくゲーム性を帯びている これが漫画アプリと寿司ゲーの大きな違いじゃろう(課金およびガチャがキャラクターと結びついているというのもあるが)

そして、ここで現れている『ゲーム性』は、今主流の対人型でリアクティブなゲームにはあまりなく、従来のコンシューマゲームにあるような性質である(前に言及してた) こういう文脈で、寿司ゲーのシステムはコンシューマゲーのゲーム性を継承しておる

ただし寿司ゲーがどれだけゲーム性を持つのかはゲームバランスにかなり依存するのじゃ 個人的に、ヘブバンは今までプレイした寿司ゲーの中では一番バランスが取れていて面白いと思っておる このバランスが崩壊せず最後まで続きますように

ところでヘブバンの広告ってもうちょっとなんとかなりませんか?『最上の、切なさを。』ってキャッチフレーズとか特に

あ、自分でそういうこと言っちゃうんですね……みたいなダサさがある いやそういうテーマを設定することは全く悪くないと思いますが  それを売り文句にするのはなんか違くない?

ゲーム内で切ない展開になっても「あ、今、『最上の、切なさ』提供されてるな」って思うと冷静になっちゃいませんか?

広告とかじゃなくても「泣けます」みたいな売り込みで紹介されると、実際にエモいシーンを見たときに「さあ、泣いてください。さあ、さあ!」と作品の外部から言われているような気がして、作品に集中できなくなってしまうんですが、これは儂だけなのか?

やっぱりネタバレはアカンやね 広告も観ず、何の前提知識もない、まっさらな状態でやるのが一番なんやね~(とは言いつつ、他人の紹介や口コミで、自力じゃたどり着けない良い作品に出合えるのも事実じゃ…… うじゃ)

キャラクターはキャラソンを歌わない

ゆゆ式の櫟井唯さんのキャラソン エモいやね…

サビのメロディにどことなくシュタゲっぽさを感じるのう →これが原因だった

キャラクターソングを聴くといつも「このキャラソンって、キャラクターと一体全体どういう関係にあるんですか?」みたいなことを一瞬考えてしまう 

この疑問はおそらく二つの小疑問に分割できる 一つはこの歌詞が本当にキャラクターの心情を表現しているのか もう一つはこの歌を歌っているのは本当にキャラクターなのか 

儂は、キャラクターソングはあくまで**作品の外部から**作品のキャラクターについて語っているものだと捉えている たとえば「青春エレジーと飛行機雲」という歌は「ゆゆ式」という作品の「櫟井唯」というキャラクターを、「ゆゆ式」の外部から表現している それはアニメと同じ声優が歌っていようが、作詞者が三上小又(この歌の場合は別だが)であろうと関係は無い

そう考えると、二つの小疑問についてはこう答えることができる。この歌は、「ゆゆ式」世界の中で生きている「櫟井唯」というキャラクター(の将来に対する、もどかしさ、憂鬱、不安や期待など、漠然とした様々な感情が綯交ぜになった心情)を確かに表現しているが、「櫟井唯」自身が歌ったものであるとはいえない。あくまでこの歌は作品の外部の存在なので、作品の一部であるキャラクターがその歌にコミットすることは不可能だからである。

でもこうやって言葉にしてみると、この考え方はツッコミどころ満載じゃ 作品の外って何やねんなー(春日歩)

じゃあ、あずまんが大王のアニメで、大阪がカラオケで歌ったアグネス・チャンの歌みたいなキャラソンも「あずまんが大王」の外にあるといえるのか?

そもそも、キャラソンを作品の外部に置くことに何か理由があんのかよ?と言われると微妙 キャラソンという存在を、元の作品に依存して生成される人工物と考えるのが自然だから みたいに存在論の人工物説(この前の本で表面だけなぞった)の立場に立てば一応理由付けっぽいことになるのかな 理由付けの仕事を丸投げしているだけともいえる

ぼっち・ざ・ろっくの二話を観た 良いアニメ

カット割りや視点を意識した細かな演出がふんだんに盛り込まれいていて、何度みても面白くずっと鑑賞していたくなる かなり好きじゃ ツイッタでも言われているようにこの良さはけいおんアニメのそれに近い

伊地知虹夏さんの包容能力の高さが印象に残る 聖母のようで慈愛に満ちておる

教育能力が高くて優秀邪 ゲームのチュートリアルに出てきて、優しく操作方法を教えてくたり、うまく操作できるとめちゃめちゃ褒めてくれたりしそう

ところで儂は頭の切れるキャラクターに勉強や人生のチュートリアルをやってもらって、いろいろ教えてもらいたいという願望を持っている

学校に行かされるのではなくて、端末を使ってキャラクターに教えてもらおう!というスタイルだったらもっと勉強ができる気がする たぶん

なんとなく今くいなちゃんを思い出した 複数いるくいなちゃんのうちの一人に知識を分けてもらいたいものだぜ

でも実際にキャラクターを複製再現できるようになって、それとリアルタイムな対話ができるようになったとしたら、それはそれでめちゃめちゃ萎縮してしまいそうな気もしてきたな(そも、我々が生きている内には実現しないじゃろうが)

キャラクターを再現するって一体何やねんなー(春日歩)(最近、疑問文がすべて大阪の声で脳内再生されるようになりもうして)

深夜テンション、衝動買い

深夜テンションで衝動買いしたもの三選

哲学の本 今日届いたやつ

ずっと「キャラクターが存在してるとはいったい何ぞや?」みたいな事をぼやっと考えていて、そういうことを取り扱っている分析哲学系の本をパラパラっと眺めるなどしていた で、著者が書いてる別の本を読んで面白かったので買ったのがこの本 

こういう高価で実学よりじゃない本は図書館に置いてないので困る 大学の図書館にリクエストすれば買ってくれるんだけど、リクエストしてから貸出できるようになるまでに三か月くらいかかるので待てんやね 

買ってしまったからにはちゃんと読まんとな やっぱ、友達が居ない大学生は哲学をやらんとね(いやはや)

やたらと高いキーボード 特にキーボードに対して思い入れはないが三万円くらいするやつを買ってしまった

たしかツイッタで監視していたある人がキーボードについて熱く語っていて、それに触発されて買っちまったやつだった筈 たぶん儂は他人の熱量に影響を受けやすい体質なのだと思う 熱量をのせられたら無意味な壺とかでも買ってしまうやもしれん

キーボード自体はとても打ちやすくてGOOD タイピングも心なしか少し早くなったような気がする 音がめっちゃスコスコするので最初は気になっていたが、だんだん癖になってきて今じゃこの音がないと物足りない 心地よい打鍵音じゃ でも三万円は引きこもりの学生が出すお金じゃないぞなぁ

素振り用竹刀

一番アホ これに7000円を消費している 一か月分の食費じゃ

たしか二年前、徹夜でエロゲーをやっているときに買ったやつだと思うが、その時の記憶がもう無いのでどういう心持ちでこれを買ったのかがわからない 無駄にでかいので処分するのが面倒くさくて部屋の片隅にずっと置いてある

素振りは殆どしていない 今、久々に触ったので振ってみたが重くて辛い 運動を全くしていない人がやるやつではない

やはり徹夜のテンションって恐ろしいのう モノを買う心理的なハードルが急落する 酒は飲んだことがないが、酒で酔っ払ったときのテンションもこういう感じなのだろうか 

自分が「エロゲに影響されて素振り用竹刀を買っちゃう人間」であるという事実 冷静に考えるとウギャーだな

アニメ

今期のアニメをいくらか観ている

今はアマプラやアベマで大体観れちまうので良いですね 前からそうだったかもしれん

DO IT YOURSELFというアニメ

主人公の名前が「結愛せるふ」だと知り、なんというか世界を創造する側の作為のようなものを感じてしまいちょっと怖くなった

DIY(DO IT YOURSELF)部に、「ゆあせるふ」が入部!?マジか!?!?!?! 現実には筑波大学に筑波大氏が入学したという事例もあるしありえなくもないのか?まあ本人は全く気にしてないみたいしどうでも良いやね(かわE)

フィクション作品に作為性をどう織り交ぜていくか? という問題は、ギャグとか不条理が作品のテーマでない限り重要になってくる 作為が全くないことなんて少なくとも商業作品ではありえないじゃろうし 作為があまりに目立っていると違和感を覚えて作品全体の印象に歪みを与えてしまう(それはそれでアリっちゃアリかも) あくまで適度に、自然に作為を織り交ぜていくと良くて、それができるかどうかは製作者のバランス感覚にかかっている

作為って何?

うる星やつら うる星やつらを「うるほしやつら」を変換して打っていたが普通にうるせいやつらで変換できることに気づいた

そういえばこういう話じゃったっけ うる星やつらはビューティフルドリーマーばかり何回も観ているので認知の歪みがすごい 

ラムさんがあまりに軽々しくあたるに暴力を振るっていて凄い ラムさんの暴力性が際立っている リメイク作品の良さは、今の時代でもヒロインが自由に暴力を振るっている所をみられることかもしれない

一話でラムさんがあたるを好きになるのも一種の作為だよな しかしキャラクターの感情についてあれこれ言うのは邪な感じがするのでまあ

その他アマプラにあったナウいアニメを観た チェンソーマンとかぼっちざろっくとかヤマノススメとかちいかわとか ちいかわのアニメから漫画にない"匂い"を感じてしまうんだけどこれは儂だけですか?

存在とイメージ

ゆゆ式の櫟井唯

このポーズは何か?→ポーズ集サイトからランダムに選んでパッと出てきたやつ

しかしどうも儂の描き方がまずくポーズが崩れているような

ある対象が存在しているということを実感するためには個別的な経験の蓄積が必要だと思っていて、これは虚構の対象に対しても適用できる 

ただし虚構的な対象は**現実に存在しない**ので、現実世界で虚構物について個別的な体験をするのは難しい。そのため経験を脳内でシミュレーションすることによって、疑似的に虚構的存在の輪郭をとらえ浮き上がらせようとする。

ここで必要となるのが経験を脳内で再生する能力で、つまり想像力のようなサムシングなわけじゃが、儂にはこの能力が決定的に不足している 最近ヒシヒシとそれを感じている

この能力は創作をする際によく求められる たとえば絵を描くとか、小説を書くとかいったことは、個別的経験を脳内で再生して、それを文章や絵に写し取ればよい。この「イメージを写し取る」能力自体は技術なので、ある程度の水準までは育て上げられることは想像できる では、写す元となるイメージはどこから産まれているのか?イメージの量、質は、インプットの量や質を前提としても、その人のオリジナリティに依存しているのではなかろうか?

儂はずっとそんなふうに考えていたわけじゃが、最近は少し考えが変わってきている どちらにせよ儂の創造力が不足していることに変わりはないが……

クロシオカレントという漫画を読んだ すごすぎ 天才じゃん

空気系の漫画なんだけど疾走感がすごい これ読めば読むほど加速してくやつだ(それはそう) たぶん最後はすべてが加速してぜんぶ一緒になって終わる

個別経験がぶよぶよ足されキャラクタの立体感が増していく感覚を久しぶりに味わえて良かった

最近新しく物語に触れてこなかったけど他のも読んでいこうかね!