Ever17では作中のキャラクタが歌っていた子守歌が特に印象に残っている 前後のストーリーの文脈は忘れたけど、この歌だけは何故か覚えていて、ふとした時にこの歌が脳内に流れてくる 今日またふと思い出した こういうふとした回想がこれからの人生を埋め尽くしていくのだろう
Ever17はノベルゲームというメディアの特性を活かした傑作という印象(多分これは一般的な評価から外れてない筈)だけれど、基本的なルートを回収した後の、様々な伏線の回収が行われる終盤まではダレる作品でもある
正直に申すと儂ははじめニコニコ動画でEver17を知り、未プレイのまま実況動画を見ていました しかし、物語半ばで、実況動画の投稿者が失踪してしまったのです 本当に中途半端な状態で動画の供給が終わってしまい、ここからどう面白くなるのか気になって、仕方なくDL版を購入しPCでプレイしたのです
中盤まで既にみたシナリオを繰り返すのは怠かったが、結果的には一人でプレイしてよかったと思っている やっぱり他人の実況で作品を視るとシナリオに対する印象が偏ってしまいがちなので
あと、物語終盤の怒涛の展開に対して自分なりにテンションをもっていけたのも良かった 作品の良し悪しは、作品の勢いに対して自分がノれるかどうか、作品に酔うことができるかどうか、で大方決まると思っている おそらく、実況動画を通じてEver17を最後まで見ていたら、一人でプレイした時ほどテンションを持っていけなかったと思う 終盤は本当に面白かった
ノベルゲーは基本一人で楽しむようにできている まあこれは映画とか他の形態でもそうで、ソーシャルな楽しみはあくまで二次的な楽しみでしかない
ところでEver17について言及するとネタバレ不可避になってしまうのが困るところである おそらく未プレイの人からすれば前の文章はネタバレなのだろう この作品の肝は作品の構造にあって、作品についてコメントするとどうしてもその構造に関する言及になってしまうのじゃ(終盤うんぬん)
Ever17の発売が2002年8月だから今月で20周年か 時は流るるよのう

Spotifyというサブスク制音楽サービスがあり、最近はこれでたくさん音楽を聴いている
沢山の音楽を無料で広告はあるけれど自由に聴くことができるので快適 快適ではある 去年実家にいたころは聞きたい曲、それもたいてい一世代ほど前の曲があったときまずamazonでCDの中古を探し、格安で売っていなければ30分ほど歩いてブックオフに行きそこで買っていた spotifyはそのずっと前からサービスを開始しているしそこまでする必要は全くなかったわけじゃ
とはいえSpotifyはマイナで一世代前の曲は配信していないことが多い(権利者が申請してない?)ので、やはりこういうときは中古屋を探す必要があるのだけれど
こうやって無料で音楽を聴けるというのはすごいが恐ろしくもある これは音楽に限らず全ての無料で公開されている著作物に対して言えることである でもようつべとか中華サイトとかで違法で聴く人がたくさん居ることを考えると仕方なしということなのだろう
音楽でこのような基本無料サブスク制サービスが成立するのなら、書籍に対してもこのようなサービスが成立しても良いのでは いわゆる電子図書館的なサービス 問題になっている漫画や同人誌の違法アップロードに対応するにはこの方法が一番良いと思う 良いと思うけど収益の仕組みをどうするかが本当に難しいので実現するかどうかは分からん amazonとかがこういうことを率先してやってくれると助かるんだけども(アメリカでは既にamazonと公共図書館が連携して何かやってるらし)
そういえば漫画アプリって基本無料で読めるんだったな
夏休みに一本エロゲーをやろうと思っていて、どれを買うか迷っている
今は2000年代のエロゲー・ギャルゲーもDLSiteやDMMなどでダウンロード購入できるのですばらC 2002~2005年あたりの作品の絵柄がめちゃめちゃ好きなのでそこらへんの名作を一本買おうかな プレイしていない過去の名作がたくさんあって儂は幸せじゃ……

劇場版レヴュースタァライトを視聴した(尼)
今月末にプライム特典で見放題になるというニュースを聞いて、急にどうしても観たくなってしまったので有料レンタルで視てしもうた
こういうときは我慢せず観たいと思った瞬間にババッと視るべし 一晩寝かせると儂の中の興味のベクトルが逸れて、視たいと思う熱量が損なわれてしまうおそれがあるため 楽しみを得るチャンスは逃してはならんぞ
映画すごかった 何よりも情報量がめちゃめちゃに多くてすごい 遊園地のアトラクションの二時間版みたいな感じで、視覚的な情報のジェットコースターにドボドボドボと流され続ける感覚が心地よい
アニメ版は昔ようつべで公開されていたときに視聴済みで、作品のシステムについてはある程度理解していたつもりなんだけど、演劇(夢)と現実のパートが唐突に何気なく切り替わる演出は何度みても困惑する
演劇パートでは、舞台少女は明らかに観客を意識した演技をしており、その観客とは、このアニメを視聴している我々であることが映画内で示唆されている
演劇を志す少女たちが織りなす、虚構で完結していると思っていた世界で、さも当たり前かのように我々の世界を指向したメタフィクション的な演劇が始まる
その瞬間、儂の作品に対する認識がぐらつく この世界全体が作り物の舞台であり、登場するキャラクタたちは、キャラクタとして世界に立つと同時に、『舞台で演劇を志すキャラクタ』を舞台少女として自己言及的に演じる、という二重の役割を課せられていることが、そのときに初めて明かされるのである
このような、不自然で演劇的な二重構造のシステムは(映画では)見たことがなかったのでなかなかに衝撃じゃ あくまで演劇なのであるから、視覚的な演出を、舞台演出としていくらでも付け加えることができる その結果として映画はものすごい情報量になっている すごいシステムじゃ
視覚的な情報の密度を上げるために、時間的な省略が細かく何度も行われていたのが興味深い これって現代の動画サイトとかによくある『切り抜き』と同じだよな 無駄、冗長な『間』をカットすることで情報量の密度を上げ、視聴者を飽きさせないようにする工夫じゃ
『間』があると視聴者が飽きて、視聴を辞めたり倍速視聴を始めてしまうから、飽きさせないように情報をできるだけ詰め込んでいる
シナリオの内容は複雑にせず、視覚的になだれ込んでくる情報を楽しむ、という側面が強調されるようになる(シナリオは簡単にネタバレサイトでネタバレできてしまうから)
モダンな映画、とくにライト層が多いアニメーション作品はこれから更に密になっていくのかもしれんな

とらドラの川嶋亜美
そういえば後ろ向きのポーズって描いたことないな、次は後ろ向きで描こうかな

姉の誕生日祝いで外食をした これはそのときに食べた鹿肉(影が映っている) 初めての味がしてめちゃ面白かったです
とはいえ外食って金かかるよな いつも一食200円未満になるよう意識してるので、外食で数千円飛んでしまった事実にとても恐怖している 怖!!!!!

なんとなく下描き→線→色塗りの順で描いた
いつも下描きからそのまま色を置いているのでそれより手間がかかる……かと思いきやそうでもなかった
下書きから直接色を置いていくと修正が効く分時間をとられがちなのかも 線画を描くと色を置く作業が簡単になる一方であとから線画の修正をするのが難しくなってしまう 途中から線画が邪魔になってきて消したくなってくる 儂にとって線画は一長一短じゃ(下手なだけ)
絵が上手く線をビシッと引ける人は絶対に線画を描いたほうが良いし、絵が上手くなりたいなら線画を描くべきだとは思うんじゃが うーん儂は絵が上手くなりたいのかよくわからない ビシッとした上手い線を引けずとも三次元的に自然な絵を描けるようになりたいなあとボニャリ思っているんじゃが(といいつつ何も考えず平面の絵を量産している)
『上手い』っていうと技術的な、手本を模倣する精度の高さを評価しているというイメージがある
こう捉えると、その人の中にある理想のイメージを絵に描き写す精度が高い、という意味で『絵が上手い』ということになる すると手本がその人の脳内にしかない場合は、他人はその人が何を元に描いたのか分からないので、絵を描いた本人しか上手い下手を判断できないということに
お手本が実際に存在しているならそういう上手い下手の評価があるのは分かるけど、お手本そのままということもあまりないような…… まあ上手い下手で考えるとややこしく、好き嫌いで考える方が良いじゃんていう話やね

4年前に初めてちゃんと描いた絵(霊夢)

見ながらいま描いたやつ
こうしてみると描き方あんまり変わってないのう

闘神都市Ⅱのダイアナさん
闘神都市Ⅱで一番印象に残っているキャラクタじゃ 死んで幽霊になってもケロっとしている価値観の軽さが良い
最近けっこうなペースで絵を描いている気がする 絵を描きたいと積極的に思っているわけではなく、何かやらないとなーと思ったときに、自身に残っているMPと行動に伴うMPの消費量を勘案した結果絵を描くくらいしか選択肢が残らないんだよな
その時の精神状態によって各々の行動に伴うMP消費量は変化していて、精神が不安定な時は消費MPが高騰して何も行動に移せなくなる できることといえばコンテンツを受動的に消費したり無思考でできるゲームをするくらい
お絵描きは比較的何も考えずにできるのに加えて、絵という成果物が残るので罪悪感が少なく逃げの選択肢としては最善なのだ
↑この話前にもしたにょ ずっと同じ生活をしているし、同じ話を繰り返すと心地よい気分になるのでついやってしまう
同じ話を周期的に繰り返すだけのBOTになりたい
BOTといえば、ツイッターで人気のbotって、殆ど手動で動かしてる嘘のBOTか、中華系企業が運営してる(?)転載BOTが多いよな 前者に関しては実態はキャラクタのなりきり垢なのにBOT然としていたりしてモヤッとするぜ
儂はなりきりという行為を文章のコスプレだと思っているフシがある コスプレと同じように、キャラクタと重なろうとすることで、なりきる人のリアルな人間感が滲み出てしまっているように感じる
ツイッタで検索したとき、なりきりBOTを見かけるとウッとなってしまう いや別に良いんだけど、そのコスプレされた側のキャラクタが儂が知っているキャラクタとかだと、いやキャラクタの皮をかぶっただけの"お前"じゃんと思い微妙な気持ちになる
こういう言い方をするとVTuberにも同じようなことが言えそうな感じがするが、そうではない VTuberは自身がキャラクタの原典であり、演じるキャラクタそのものに比較対象となる原作があるわけではないからじゃ
でも、なりきり行為と二次創作でキャラクタを描くことってけっこう近いんじゃないか、みたいなことを考えている というより、その人の中のキャラクタ像を反映させる行為でしかないのだから、なりきりは二次創作の一つといえるのかもしれないな(そりゃそう?)
なりきりが持つ一番の特徴は、なりきる人が持つキャラクタの像を、その人の自己意識と重ね合わせているという点にあるだろう なりきりを観測する人からすれば、なりきる人そのもののキャラクタと、なりきる人の中にあるキャラクタのイメージと、なりきりを観測する人の中にあるキャラクタのイメージの三つの間にギャップが生じるわけである だから、歪なイメージを抱かずにはいられないのだ
一般的な二次創作でもそういう違和感はある あるがそこにはなりきる人そのもののキャラクタは介入しない お互いの頭の中にあるキャラクタのイメージという二者間のギャップが存在するのみで、現実の人間を意識しなくて済むのである
そういや中学生の頃にtwittbotでBOTを作ったことがあり、基本的に作りっぱなしのまま放置していたのだがこのまえアカウントを見たらフォロワー数が5000人くらいいてびっくりした モノンホBOTは定期的に同じツイートをくりかえして検索欄を汚染してしまうため消そうかと思っているんだけどどうしよう